山陰 本線。 ◯◯のはなし│観光列車の旅時間:JRおでかけネット

山陰本線 停車駅一覧、遅延・運行情報|鉄道路線情報

山陰 本線

松江駅 朝7時半に起床した私は、まずホテルのバイキングでしこたま腹を満たした。 鈍行旅で必要不可欠なのが 充実した朝飯だ。 朝のうちに食べとかないと頭も体も働かない。 バイキングを食べつくし、早めにチェックアウトして松江駅へ向かった。 「お願いしまーす」「ハイありがとうございまーす」 残り一日分となった18切符を改札で差し出す。 これは鉄旅の儀式みたいなもんだ。 10分ほど待つと今日最初に乗る列車がやってくる。 長大なるローカル線、山陰本線の旅の始まりだ。 山陰本線 アクアライナー [松江~益田] 9時02分発の益田行き快速 「アクアライナー」は、昨日と同じく二両編成の気動車である。 コスト志向の新型気動車だが、車内はほぼ全てがボックスシートになっていて乗り鉄には有難い代物だ。 シートピッチもかなり余裕がある。 到着するとドッと乗客が降りてきたので、空いたボックスシートを確保する。 座るのはもちろん 進行方向右の日本海側。 私が心底楽しみにしてたのは出雲から先の日本海区間なのだ。 列車は松江を出ると、しばらく 宍道湖の脇を走る。 湖の向こうには昨日乗った一畑電車が走っているのだ。 玉造温泉で一気に観光客が増えた。 この区間は電化されているが鈍行は気動車しか走ってない。 陰陽強化の電化区間と非電化区間が入り混じる、山陰本線独特の運用形態だ。 宍道湖を離れると、列車は木次線と接続する 宍道へ。 宍道と書いて 「しんじ」であり 「ししどう」ではない。 私は昨日までししどうだと思っていた。 結構な難読駅である。 昨日乗った快速は何度も列車の待ち合わせをしたが、今日の快速は一度も待ち合わせをしていない。 宍道を出ると、列車は田園と住宅の中を駆け抜ける。 直江でようやく列車の待ち合わせをした。 昨日乗った効率の悪い快速とは大違いだ。 一畑電車と合流すると、列車は 出雲市へ到着しドッと乗客が降りていく。 出雲市から、山陰本線は延々と日本海沿いを走っていくことになる。 山々が深くなってくると日本海が近づいてきて、小野を過ぎたところで列車は海のスレスレに出た。 トンネルとトンネルの間に、人が立ち入れなさそうな秘境地帯が見える。 この地域の民家は 重厚な瓦屋根が多く、屋根の装飾が凝っている。 さすが神々の国だ。 海沿いを離れて住宅街へ入ると大田市へ到着するが、ここでトラブルが発生した。 どうやら 列車が故障したらしい。 しかし大した問題ではないらしく、数分の点検の後すぐに発車となった。 大田市からしばらくは田園の中だが、長いトンネルを抜けたところで再び日本海へ近づく。 人家は相変わらず古い瓦屋根のものばかりで、田んぼのところどころで 野焼きの煙が上がっている。 海沿いに小さな集落を幾つも形成していて、山陰本線はそんな集落の一つ一つを単線非電化で結んでいるようだ。 温泉津で列車待ち合わせのため、数分停車となる。 さっき生じた故障の影響で、この先停まる駅の乗り場が変更されるらしい。 海沿いの集落と閑散とした土地をひた走り、列車は江津に到着した。 江津からは日本海の近くを行ったり来たりしながら市街を進む。 都野津で再びアナウンスが入った。 「車両の故障が思った以上に甚大」だという。 この先ですぐ車両点検を行う必要が出てきたため、 列車が益田から浜田止まりに変更となった。 浜田からは違う列車に乗り継がなければならないらしい。 取り敢えず、代替の列車を用意してくれたから良かった! 代替が無かったら帰りの飛行機に間に合わなかっただろう。 正直笑えない冗談である。 浜田に到着すると隣のホームに移ってくださいと放送が入ったので、移動。 大人しく代替列車を待つ。 アクアライナー 代替 [浜田~益田] 本来益田まで行くはずだったが、列車が故障したためアクアライナーは 浜田で一旦運転を取りやめることになった。 故障した列車の代わりとして急遽運行されることになった浜田発益田行きに乗り換えるため、3番線へ移動する。 しばらくすると列車が来た。 車両は先程と同様キハ126。 反対から来た列車が折り返しでそのまま使われるようだ。 11時46分、時刻表には存在しない 浜田発益田行きの臨時快速アクアライナーが出発する。 既に20分の遅れが出ているが、益田では次の列車まで余裕があるので問題ない。 浜田から列車はノスタルジックな街の中へ。 折居付近に差し掛かると再び日本海スレスレを走る。 三保三隅という変わった名前の駅で地元の学生が乗り込んできた。 三保三隅からは断崖の真っ只中を走り、右手に日本海が広がる。 「何でこんなところに線路を引いたのか??」と思わざるを得ない土地ばかりだ。 絶景区間を抜けて、鎌手で列車待ち合わせのため数分停車。 車内は既にガラガラで、 一つのボックスシートに一人一人といった感じである。 日本海の景色も素晴らしいが、私が好きなのは 小さな港の集落だ。 こんな鄙びた土地でも人々の営みがちゃんとあるんだって実感する瞬間である。 さっきから 鉄オタが数人かぶりつきをしていて、待ち合わせの停車とわかると車内をウロウロしている。 そういや今かぶりついてる奴、さっき列車に乗るとき座席を確保しようと地元客を退けてた輩だ。 手で退けたら退けたで「すいません」と謝っていたが、そもそも 謝る以前の問題だろ!って。 俺も結構な鉄オタだけど、ああいう頭オカシイ連中とは関わりたくないな……! 海岸沿いをひた走ると、臨時快速は26分遅れて終点の 益田に到着した。 益田の滞在時間は 40分強。 次乗る列車まで時間があるので駅前をブラブラしてみるが、 駅前は典型的な近郊街で名物的な何かがあるわけではないようだ。 売店で食料を買って大人しく待っていると、長門市行き鈍行がやってきたので乗り込んだ。 山陰本線 [益田~長門市] 益田から先、山陰本線は 屈指の閑散区間となる。 時刻表を見る限り、この区間は優等列車が一切走ってなく、一日数本の鈍行しか走ってない。 しかもその鈍行が単行か二両編成のワンマン列車だから、想像以上の閑散振りである。 益田~長門市を走りきる列車は往路復路とも 1日6本のみ。 山陰本線で最もローカルな区間へこれから突入するというわけだ。 13時27分発の長門市行きは単行の国鉄気動車である。 車両は相変わらずのキハ40。 車内はほぼ全てが ボックスシートになっている。 しばらくガラガラだったが、 出発が近づくごとに乗客がみるみるうちに増えて 満席状態となった。 単行の鈍行しか走ってない閑散区間の実態を、私はこれまで何回か目の当たりにしてきた。 小樽~長万部の函館本線もそうだったが、 こういう区間は絶対に混む。 本来特急に乗るはずの観光客が鈍行になだれ込んでくるからだ。 満席状態になったところで定刻となり、長門市行きは益田を出た。 これまでも日本海沿いだったが、益田からも相変わらず 日本海のスレスレを走る。 車窓には 茶色い瓦屋根の民家が並ぶ。 益田市街を出ると列車は再び海に食いついた。 この区間は 絶景の連続で、険しい断崖を列車が突き進んでいく。 飯浦からはしばし海を離れ、内陸の山間を進む。 延々と坂を上って峠を越えると、列車は異常に速度を落として進行。 鬱蒼とした木々とトンネルを進む様は、とても本線とは思えないローカルぶりだ。 江崎付近はのどかな山里の中だ。 須佐が近づくと惰性で下り勾配を下っていく。 須佐では地元客が5人ほど降りていった。 再び日本海へ近づくと、木与までひたすら海沿いを走る。 木与から列車は内陸へ入り、住宅が多くなってきたところで 奈古へ。 国道とともに日本海沿いをひた走り、山里へ入ると萩の地が近づいてくる。 14時38分、列車は 東萩へ到着。 萩市街を大回りした後、日本海の元へ。 人気の無い断崖海沿いを行き、長い下り坂を下ると三見へ着く。 対向列車が遅れているため5分ほど立ち往生した。 三見から山陰本線は秘境っぽい閑散区間へ突入する。 この区間の車窓は素晴らしい。 勾配を上りながら断崖のスレスレを走り、日本海の絶景を拝みながら峠を越えていく。 鬱蒼とした山の中には、一本の線路と列車を除けば本当に何もない。 風光明媚な景色が続く中で、たまに古民家とこじんまりした海岸が現れ車窓を彩る。 超閑散区間を過ぎると人家が多くなってきて、列車は終点の 長門市へ到着した。 絶品の車窓に目が眩んだがのんびりしてる場合じゃない。 長門市の乗り継ぎ時間は僅か6分なのだ。 跨線橋を渡って、隣のホームに停まっている小串行き鈍行に乗り換えた。 山陰本線 [長門市~小串] 15時24分発の小串行き鈍行は、二両編成の気動車キハ40。 車内は ロングシート多めのセミクロスシートであった。 長門市~小串の所要時間は一時間強。 閑散区間は通り過ぎてしまったが、ここからも日本海沿いを行く区間が点在する。 この区間は観光列車 「みすゞ潮彩」も走っているが、私の乗り継ぎパターンには噛み合わなかった。 乗ってみたかったが、今回ばかりは致し方あるまい。 単行に詰め込まれていた乗客が二両編成の列車にバラついたので、車内は少し余裕がある。 ボックスシートに座れなかったので、ドア脇にこじんまりと設けられているロングシートに居座った。 定刻通り長門市を出ると田園地帯を突っ走り、 伊上から日本海沿いへ。 先程の区間ほどではないが、眺めは素晴らしいの一言だ。 阿川から内陸部へ戻り、上り勾配で高度を稼ぎながら山間へ入ると 特牛という美味そうな名前の駅に着く。 沿線では野焼きをやっていて、ドアの近くにいると煙の臭いが入ってくるのがローカル感あっていい。 長門二見からはまたしても日本海に沿って進み、小串手前では 険しい断崖を行く。 小串到着は16時36分。 ここから遂に 山陰本線最後の鈍行に乗る。 乗り継ぎ時間が短く僅か3分で乗り換えなければならない。 山陰本線 [小串~下関] 16時39分発の下関行き鈍行は、もはや説明無用の二両編成キハ40。 最後の最後までタラコ色だったのが意外だ。 これまでは完全な閑散地帯だったが、西側の山陰本線は小串から少しずつ乗客が増えるらしい。 列車はすっかり多くなった人家と田園の中をひた走る。 この区間は 車掌が乗務するようだ。 久しぶりの肉声にホッとする。 小串からは街中と田園がほとんどだが、 吉見から福江にかけての一駅間だけ海沿いを走るようだ。 山陰本線は最初から最後まで素晴らしい車窓だ。 偉大なるローカル線は伊達じゃなかった! 下関へ近づく度に、少しずつ地元客が増えてきた。 綾羅木という雅な駅を過ぎると山陰本線は 山陽本線と合流し、その長い長い道のりを終える。 本当に長い長い道のりだった。 山陰本線の終点は 幡生だが、列車は本州最西端の下関まで走り抜く。 「ご乗車、ありがとうございました。 終点の下関に到着です。 」 山陽本線の線路を間借りして、山陰の国鉄気動車が最後の路を走っていく。 やがて17時27分、女性車掌のアナウンスとともに終点の 下関へ到着した。 カフェでも寄って余韻に浸りたかったが、そんなことしてると帰りの飛行機に間に合わない。 缶コーヒー買って一服してるうちに、関門海峡を越える行橋行き鈍行がやってきたので乗り込んだ。 成田へ向かう飛行機に乗るため、まずは下関から福岡空港へ向かわなければならない。 17時38分発の行橋行きは 交直流対応の国鉄電車。 見た目は昔の常磐線と瓜二つだ。 完全に昭和の列車だが、車内は魔改造帝国の西日本らしく真新しくなっている。 下関を出ると列車はトンネルに入り、関門海峡を抜けて九州へ入る。 日豊本線と接続する 小倉で、私は下車した。 このまま鈍行に乗って進んだ場合、空港のチェックインに間に合わない恐れが出てくるので、小倉からは特急に乗って博多を目指そう。 18時05分発の 「ソニック48号」は、大分から日豊本線・鹿児島本線を経由して博多へ向かう特急だ。 その二時間強の道のりのうち、小倉から博多までの区間だけ利用させてもらおう。 近未来デザインのJR九州は、車内が独特のインテリアになっていて毎回びっくりさせられる。 床が木目で座席がSF風のデザインだ(汗)。 確か鈍行や快速も同じようなデザインだったはず。 鹿児島本線を突っ走り、日が暮れたところで 博多へ到着。 ここからは地下鉄だ。 福岡空港は地下鉄が乗り入れているので、行くのは簡単である。 福岡市地下鉄空港線 [博多~福岡空港] 福岡市地下鉄空港線は姪浜から福岡空港を結ぶ路線で、福岡で最も古い地下鉄らしい。 空港直結路線といえば成田や羽田も乗り入れてるが、福岡の路線は 他社の路線を一切介さず、同線内で福岡市交通局が運行する列車のみが空港直下へ乗り入れる。 そういう意味でこの路線は日本唯一である。 福岡空港は 博多からたった二駅隣にある。 さすが日本で一番便利な空港といわれるだけあって、アクセスの容易さは群を抜いている。 いや……千歳や成田が不便すぎるのかもしれない。 すぐにやってきた福岡空港行きに乗って、ほんの数分で福岡空港へ。 ここからようやく 飛行機だ。 今回ばかりは運が良かった西日本とお別れである。 ジェットスター国内線 [福岡~成田] 20時20分発の ジェットスター成田行き最終便は、少し出発が遅れそうな気配だ。 単独で飛行機に乗るのは初めてだがLCCを利用するのも初めて。 LCCは頻繁に遅延が発生すると聞いたが、今回もやはり遅れるらしい。 これ以上遅れると成田から家に帰れなくなる恐れがある。 単独の飛行機は初めてで手続きに戸惑ったが、ジェットスターはウェブチェックインでスムーズに手続きができた。 端末に予約番号を入力するだけであっという間に手続き完了。 今日取った最終便の値段は 9540円。 新幹線よりも遥かに安い値段である。 平日はもっと安いらしい。 荷物チェックを済ませ、待合スペースに着くと休日帰りの行楽客でごった返している。 しばらくすると入場のアナウンスが入り、後部座席の乗客から飛行機へ乗り込む。 やがて定刻から20分遅れて、ジェットスターの最終便は福岡空港を出発。 エアバスの普及型旅客機A320が、休日帰りの客を満杯に乗せて成田へ飛び立った。 荒い気流に揺られながら夜景を眺めているうちに、私は今回の旅が 大成功したことを確信した。 全てのコンセプト通りに乗り通すことができたし、ギチギチながら色々なところへ行けたのがよかった! 22時20分、気流の中を突っ切って最終便は成田空港へ着陸する。 ジェットスターの降り口は ターミナルビルからめちゃくちゃ離れてるらしい。 飛行機を降りるとバスに誘導され、空港ビルへ移動。 こうして今回のLCC初体験は幕を閉じた。 唯一の誤算といえば、ジェットスターが引き起こした遅延で スカイアクセスの終電に乗れなかったことであった。 「まさか今日中に家に帰れないのか!?」と冷や汗をかいたが、乗り鉄はこんなところで挫けない。 23時過ぎに出る 京成の津田沼行き最終電車と、 新京成の松戸行き最終電車を使って、超ギリギリの終電繋ぎで25時過ぎに何とか帰宅。 山陰本線は昔ながらの原風景が残ってたし、地元の人々にとりわけ温かみが感じられたのも良かった。 個人的に印象に残ってるのは 茶色い瓦屋根の民家群だ。 多分あの地域でしか見られない街並みだろう。 全五記事に及んでしまったが、本稿で悔やみ一切無しの山陰出雲一人旅を終幕する!.

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青春18きっぷ対応、山陰本線全線走破の旅【車窓・駅弁など】

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5km 丹波口駅 4. 2km 二条駅 5. 8km 円町駅 6. 9km 花園駅 8. 6km 太秦駅 10. 3km 嵯峨嵐山駅 14. 1km 馬堀駅 20. 2km 亀岡駅 23. 4km 並河駅 25. 2km 千代川駅 28. 2km 八木駅 32. 3km 吉富駅 34. 2km 園部駅 38. 2km 船岡駅 41. 9km 日吉駅 44. 3km 鍼灸大学前駅 47. 1km 胡麻駅 51. 9km 下山駅 58. 6km 和知駅 60. 7km 安栖里駅 65. 0km 山家駅 76. 3km 高津駅 82. 8km 88. 2km 上川口駅 102. 4km 下夜久野駅 109. 8km 上夜久野駅 115. 6km 梁瀬駅 119. 2km 養父駅 131. 2km 八鹿駅 138. 7km 江原駅 142. 4km 国府駅 148. 4km 153. 0km 竹野駅 173. 4km 佐津駅 175. 7km 柴山駅 180. 0km 香住駅 185. 9km 浜坂駅 199. 8km 諸寄駅 204. 5km 東浜駅 211. 9km 岩美駅 214. 8km 大岩駅 219. 1km 福部駅 230. 5km 湖山駅 235. 8km 鳥取大学前駅 239. 6km 末恒駅 244. 7km 宝木駅 247. 6km 浜村駅 252. 8km 青谷駅 258. 9km 泊駅 264. 6km 松崎駅 270. 1km 倉吉駅 275. 2km 下北条駅 280. 1km 由良駅 285. 8km 浦安駅 287. 6km 八橋駅 291. 3km 赤碕駅 295. 5km 中山口駅 297. 7km 下市駅 303. 6km 304. 7km 名和駅 308. 8km 大山口駅 312. 7km 淀江駅 318. 2km 東山公園駅 323. 8km 安来駅 336. 6km 荒島駅 342. 2km 揖屋駅 345. 3km 東松江駅 351. 9km 松江駅 354. 6km 乃木駅 358. 5km 364. 5km 来待駅 368. 0km 荘原駅 379. 1km 直江駅 384. 6km 出雲市駅 389. 4km 西出雲駅 391. 4km 出雲神西駅 393. 5km 江南駅 400. 1km 小田駅 404. 0km 田儀駅 411. 5km 波根駅 413. 7km 久手駅 417. 2km 大田市駅 420. 2km 静間駅 422. 8km 五十猛駅 428. 9km 仁万駅 431. 9km 馬路駅 434. 8km 湯里駅 437. 9km 温泉津駅 440. 8km 石見福光駅 443. 6km 黒松駅 448. 0km 浅利駅 454. 7km 都野津駅 460. 5km 敬川駅 463. 3km 波子駅 465. 7km 下府駅 473. 3km 浜田駅 478. 7km 西浜田駅 482. 8km 周布駅 487. 6km 折居駅 492. 6km 三保三隅駅 497. 6km 岡見駅 502. 7km 鎌手駅 507. 2km 石見津田駅 514. 3km 戸田小浜駅 528. 0km 飯浦駅 533. 8km 江崎駅 540. 4km 須佐駅 549. 2km 宇田郷駅 555. 6km 木与駅 560. 2km 奈古駅 564. 5km 長門大井駅 569. 1km 越ヶ浜駅 572. 0km 東萩駅 575. 8km 萩駅 578. 2km 玉江駅 583. 9km 三見駅 588. 1km 飯井駅 594. 5km 長門三隅駅 599. 9km 黄波戸駅 609. 0km 長門古市駅 613. 5km 人丸駅 617. 9km 伊上駅 622. 1km 長門粟野駅 627. 4km 阿川駅 631. 1km 特牛駅 635. 1km 滝部駅 639. 9km 長門二見駅 643. 5km 宇賀本郷駅 645. 7km 湯玉駅 650. 2km 小串駅 652. 9km 川棚温泉駅 655. 4km 黒井村駅 658. 8km 梅ヶ峠駅 662. 7km 吉見駅 665. 6km 福江駅 668. 2km 安岡駅 669. 6km 梶栗郷台地駅 670. 7km 綾羅木駅 673. 2km 仙崎駅.

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山陰本線(JR西日本)駅舎、ホーム、駅前の写真、画像

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山陰本線 2010年12月14日 白砂青松の山陰海岸らしい風景の中に現れた561レ。 牽いて来たのは角張ったデフにカマボコドームの戦時型D51 1067号機でした。 '73. 8 小田~田儀 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2010年12月10日 近く最後を迎えるキハ181系だが、山陰地区への第一歩はD51三重連でにぎわう1971年4月26日新大阪-出雲市間 特急「おき」新設にともなうピカピカのキハ181系が米子機関区に回着した。 '71. 1 米子機関区 P:石田哲彦 投稿者 Yamashita : 2010年11月 9日 薄暗い冬の朝、上りの二番列車がまだ夜の明けきらぬ西浜田を発車する。 重装備のC57のブラスト音が集落にこだまする。 益田発浜田行526列車、機:C57 120 '70. 29 西浜田 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年10月21日 1970年元日は、大晦日から降り続いた大雪は上がったものの強風が吹き荒れ、ダイヤは大混乱。 最悪の撮影コンディションンで、やっと撮ったD51の煙は、真横に流されていた。 '70. 1 米子 P:中浦秀和 投稿者 Yamashita : 2010年10月19日 海岸沿いに別れを告げ、長門二見からの山区間。 1000分の25との苦闘でブラスト強くも速度は上がらず、空転を繰り返す。 後ろから押してやりたくなるような、つらそうなシーン。 878列車。 '71. ターンテーブルにちょこっと乗った姿がかわいらしかったです。 '73年秋 米子機関区 P:山本順一 投稿者 Yamashita : 普段走らない時間帯に園部までの臨時往復が設定されました。 時間待ちの間、保津川下りの船に手を振っていたのが思い出されます。 '71. そこで行きつけの写真店に教わり、ASA1000というコダックのレコーディング2475という超高感度フィルムを試用したところ、ご覧の通りの粗粒子で、引退間近のDF50牽引列車など、多数の被写体を無駄にしてしまった。 '76. どこの撮影地も脚力を必要としたが、この場所は比較的駅に近く客車列車の本数が多かった。 列車は幸運にもD51ナメクジ牽引だった。 '73. 冷房なんて必要なかったころの、あ・つ・い、思い出です みんな、元気かなぁ。 '79. 30 下関 P:小林慎治 投稿者 Yamashita : 2010年7月29日 特急「まつかぜ」は京都と博多間を結ぶ山陰線のクイーンであった。 その「まつかぜ」は出雲市駅で上下交換していた。 出雲大社の見学を早めに切り上げ、撮影した。 '68. 5 出雲市 P:内田博行 投稿者 Yamashita : 2010年7月26日 和歌山から転入した本州ただ2輌の四次型C57、190号機を撮影するため秋の山陰本線に出かけた。 まだ自動車が本格的に普及していなかった当時、有名観光地の嵯峨野、保津峡を沿線にもつ山陰本線は観光シーズンの日曜日にはラッシュ時以上の混雑となり、押し寄せる観光客をさばくため、通常は2~3輌編成で運転しているDC列車を2本分まとめて4~6輌に増結し、足りなくなったDCのスジを蒸機牽引列車で埋めるのが常だった。 園部でC57 190を撮影した帰途、16時18分に亀岡で交換する131Dは蒸機牽引客車に置き換わっているかもしれないと思って対向列車を見ると、131Dは予想通り蒸機牽引、機関車は見慣れたC51 271。 1本遅い列車に乗ることにして下車、夕暮れの亀岡を発車してゆくC51 271を見送った。 しかし190号機の転入で余裕のできたC57は臨時運用もまかなうようになり、老いたC51 271に次の日曜日は来なかった。 その夜に梅小路に帰区して火を落とし、4日後の10月21日に二休指定、そのまま再起することもなく3か月後の1966年1月21日廃車。 この列車が名機C51のラストランだと知ったのは数年たってからのことである。 「SLブーム」の直前だったとはいえ、見送ったのは友人と二人だけ、名優の最後はあまりにも静かだった。 '65. 17 亀岡 P:小西和之 投稿者 Yamashita : 2010年7月21日 静かな小駅、特牛(こっとい)を発車。 まだ速度も遅く、立ち向かう勾配に二重奏のドラフトが山あいに響く春の朝。 浜田発門司行823列車、機:D51 227+D51。 '71. 27 特牛-滝部 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年7月 1日 静かで鏡のような日本海。 白砂青松、山紫水明。 受ける朝日にボイラを輝かせこの地を通過する。 門司発福知山行824列車。 遠い行き先が時代を感じさせる。 '70. 30 宇田郷-須佐 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年5月10日 朝の834レを牽引してやってきた福知山区の41号機。 D51 499と同じ後藤工場標修車プレートをデフに付けていた。 '66. 9 梅小路機関区 P:石地康司 投稿者 Yamashita : 2010年4月14日 135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。 さっそく素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76. 22 直江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2010年4月 9日 下りの貨物列車の待避を受けて、C57牽引の上り列車が仁万駅に進入、ひなびた小駅でひとときの豪華な顔合わせが展開しました。 腕木シグナルも洒落た脇役を演じていました。 '73. 8 仁万 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2010年4月 7日 減速して馬堀駅を通過、保津峡に向けてエンジンを唸らせて築堤をかけ登る長い編成の「丹後4号」。 現在は「トロッコ列車」の走る嵯峨野観光鉄道となっています。 '69. 今も昔も変わらない山陰本線の名撮影地、折居の海岸線を行くC57牽引上り普通列車の罐は梅小路から流れてきた5号機でした。 '74. 中学時代に数えきれないほどの蒸機を撮影したこの土手で、過ぎ行く最終列車を見送ったあとは、遠くから聞こえる汽笛が寂しく出雲平野に響いていました。 '75. '86. 10 出雲市 P:閑野雅幸 投稿者 Yamashita : 2010年3月25日 正月に保津峡を訪れた。 川のせせらぎしか聞こえない静かな山峡に発車の汽笛がこだました。 そしてドラフトが段々と大きく反響しながらやってきた。 現在この線は観光用路線となってしまった。 '70. '73. 23 長門粟野-阿川 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2010年3月12日 荒れる日本海をバックに吹雪の中を絶気のデゴイチが音もなくあっという間に通過していきました。 '73. 通過列車が幸運にもナメクジ。 背後には助役さんと駅員さんが控えている。 現在は無人駅。 '73. 25 湯玉 P:宮山幸雄 投稿者 Yamashita : 2010年1月13日 降り立った嵯峨は小雨。 天候の不運を恨みつつ場所探し。 フト見ると濡れた緑の竹林が嵯峨の雰囲気を醸し出している。 綺麗な白煙と組み合わせられ気を取り直した。 京都発園部行き1823列車。 機:C57 5。 嵯峨-保津峡 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2009年12月28日 山陰のクイーン2012D「まつかぜ2号」がD51 524号機牽引の571レと交換する。 「山陰本線」らしかった時代の一こま。 '73. 13 鎌手 P:石田哲彦 投稿者 Yamashita : 2009年12月25日 初めて駅で泊った翌朝に、朝の斜光を浴びて峠を登っていく列車を撮影した。 この場所ではその後何度も挑戦したが、この時期にしか撮れなかった。 '72. 西大路通りには京都市電が走り、バックには左大文字を望む京都を象徴する撮影ポイントだったが、市電もDD54も消えて久しい。 '76. 3 花園-二条 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2009年12月11日 旅客列車が撮りたくて、早朝の海辺でカメラを構えた。 光線が不十分のため、増感で対応することにして撮影した。 '73. 25 折居-周布 P:早瀬文朗 投稿者 Yamashita : 2009年11月 5日 嵯峨野・野々宮踏切のさらに先、小倉山トンネル入口の上で待ち構えていると、豊岡・敦賀行きの普通列車を牽いてやってきたのは、梅小路機関区のヒロイン・190号機。 「やった」集煙装置をはずして煙突が短くなったのもご愛嬌。 '67. 12 嵯峨-保津峡 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年11月 2日 桜満開の保津峡駅。 川の流れを遮り発車の汽笛が山々にこだまする。 朝もやの中に煙が溶け込む。 園部発京都行き1824列車。 機:C575。 '71. 11 保津峡 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2009年10月22日 京都駅の山陰本線ホームに列車が到着した。 どっと吐き出されて来た乗客の表情に暮れも押し詰まった時期の慌ただしさが伺える。 '63. 30 京都 P:中島正樹 投稿者 Yamashita : 2009年10月15日 あまりに豪快な煙に圧倒され、通過後もしばらく呆然としていたのを覚えています。 '73. 曇り空のこの日は馬堀を発車して築堤に向かう登り勾配にさしかかるところを真横から狙ってみました。 '69. 5 馬堀-保津峡 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月13日 下り列車の遅れのあおりを受けて始発の園部を遅れて発車した上りの京都行き臨時列車が、猛烈なスタートダッシュでやってきました。 '67. 19 園部 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月 9日 何度も挑戦した「トンネル飛び出し」でしたが、自分としてはやっとマシなショットが得られました。 '69. 30 保津峡-馬堀 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月 5日 夕陽に光るD51貨物を狙って待っていました。 波の音に消されて近づく列車に気づかず慌ててシャッターを切った思い出があります。 '74. 8 岡見-鎌手 P:吉葉富雄 投稿者 Yamashita : 2009年9月29日 大学に入ってからも高校時代通り山陰線詣では続き、名撮影地小田-田儀に初トライ。 この日の下りおき2号は小郡方にキハ181をダブルで連結。 '81. 11 小田-田儀 P:石澤 究 投稿者 Yamashita : 2009年9月28日 高倉健主演の映画とタイアップしてヘッドマーク付き20系編成列車が山陰線にも回ってきた。 当日は素晴らしい天気に恵まれたが、背後の山の稜線を出そうと欲張ったため、主題の列車と鉄橋が霞んでしまい、後悔の一枚となった。 '81. 機関車から出る煙も良かったですが、後ろのトンネルから噴出す煙が印象的でした。 '73. 12 長門二見-滝部 P:吉葉富雄 投稿者 Yamashita : 2009年7月10日 1981年の冬、一人旅、客車の暖房の心地よさについついうたた寝、気がつけば、駅もホームもない山中に列車が停止、何事かと外を見て思い出した。 スイッチバックの滝山信号場だった。 われに返ってカメラを構えた、そこへ運よく「だいせん4号」がやって来た。 '81. 1 滝山信号場 P:芝地寛之 投稿者 Yamashita : 2009年6月25日 蒸気機関車の「さよなら列車」運転日は、ずっと思い続けていた出雲平野に広がる築地松の民家と蒸機との写真を撮ることにして、斐伊川堤防に行ってみました。 15 直江-出雲市 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年6月24日 135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。 早速素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76. 22 直江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年6月23日 明けても暮れてもDD54しか頭になかった16歳のあの頃。 後輩とDD54撮影ツアーの強行となった。 急行「だいせん」到着のあと、最後尾に付いたDD54回送を職員立会いのもと線路の中からバルブした。 ヤードではDD15が入換えをしていた。 27 福知山 P:野々村康久 投稿者 Yamashita : 2009年6月18日 長門市駅の朝のホームは行商の人でいつも賑わっていました。 これから家々を訪ねて売りに行くのでしょう。 そんな光景もD51と共に消え去ってしまったのかも知れません。 '74. 9 長門市 P:永井修二 投稿者 Yamashita : 2009年5月15日 奥羽・東北時代に出会ったD51トップナンバーに再び出会って…、なんと言うか久し振りに仲の良い友人に再会した気分でした。 '71. 1 浜田機関区 P:川瀬 剛 投稿者 Yamashita : 2009年5月 7日 正月早々の山陰線は、鉛色の空と白い波頭が押し寄せるイメージ通りの世界だった。 やがてC57が足早に現れた。 しかし肝心の雪がなく、喜びも半減だったことを思い出します。 '72. 2 馬路-仁万 P:永井修二 投稿者 Yamashita : 本州最後の蒸機列車を牽いて来た牽引機が方転後 乗務員さんたちの手によって「さよなら」の飾りが片付けられていました。 '75. 15 益田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年4月14日 保津峡駅発車の汽笛が響いた数分後、軽快なドラフトを刻みながら小倉山トンネルに吸い込まれて行った。 '71. 山陰の鄙びた里に響き渡るデゴイチの力強いブラスト音に魅せられて、この日は結局一日ここで過ごしてしまった。 '74. 折角のDD54特急「出雲」号も、いささか迷走気味だ。 '72. この日の牽引機は新製後1か月も経っていないDD54 37〔米〕。 食堂車オシ17 13の調理室では夕食の支度に余念がない頃であろう。 '71. 3 米子 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年2月10日 真夏の日差しが少し弱まった頃「光る海」とシルエットで撮れないかと段々畑に上がってみたが、バックに海が入る良い所を見つけることができなかった。 '74. 8 宇田郷-須佐 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年2月 5日 D51貨物が朝 大田市駅で1時間ほど停車する間にC57の旅客列車が追い抜くので「並び」を狙ってみたが、C57の煙でD51が少し隠れてしまったかな? '71. 8 大田市-久手 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年2月 3日 昭和47年7月中旬に発生した集中豪雨では松江駅が水没したほか、各地で不通区間が発生したので、水害暫定ダイヤとなった。 松江駅では普段見ることの出来ないC57とD51の並びが1か月以上続いたが、たった1枚で満足したのか、その後撮影することはなかった。 今では考えられないほど贅沢な時代だった。 '72. 23 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年1月26日 日曜日に家族で京都タワーへ行った帰りの一枚です。 月曜日、朝の園部発通勤列車牽引機が回送となるため、夕方の園部行きは重連になっていました。 '66. 2 京都 P:石地康司 投稿者 Yamashita : 2009年1月22日 残雪の大山をバックにDD54に牽かれた伯備線の旅客列車が日野川を渡ります。 ちょうどトンビが大山の上でクルリと輪を描きました。 '72. 29 伯耆大山-米子 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年1月16日 当時の山陰線は出雲市以西が通票閉塞区間となっていた。 下関行829列車は田儀駅で旧準急型で統一された514D急行「石見」と交換、迫力あるタブレット交換シーンが繰り広げられた。 '72. 3 田儀 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2008年12月18日 雨混じりの吹雪が一瞬止んだ、その時山陰線のクイーン、気動車最長特急の82系まつかぜが海岸線を駆け抜けた。 '73. 現在も特急停車駅ではあるものの、スキー場や温泉行きバスの乗換えで賑わった駅は、車社会となった今、閑散としています。 '79. 3 八鹿 P:山口 勝 投稿者 Yamashita : 2008年11月 5日 山陰本線へ蒸気機関車を追いかけた頃の一コマです。 下り列車のつかの間の休息の時に撮影しました。 腕木信号機、タブレット等、すべてに感動しました。 '72. 11 三保三隅 P:板倉幸弘 投稿者 Yamashita : 2008年10月31日 国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。 人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 3 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 お正月なのでウヤかと思っていた貨物が、何と重連で来ました。 傾きかけた冬の日差しに、白煙が輝いて綺麗でした。 何だかお年玉を貰った気分でした。 '74. 入換とはいえ、初めて見るC56と20系の組み合わせに思わず興奮! '74. その敷地は山陰線の著名撮影地として181系・58系気動車の末期に多くのマニアを集めたのは周知のとおり。 写真は長門市発豊岡行の822列車。 '77. '73. 人丸・阿川はそれぞれ隣接する駅名でこの箱の部分は赤い色、その横の専用電話で隣駅と確認がとれたらその箱の下から真鍮製の「通票」が取り出せる、という超アナログな仕組みになっていました。 '73. 23 長門粟野 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2008年10月10日 ホームに山のように積まれているのは地元名産「二十世紀梨」の箱詰めで、収穫時期には定期列車の荷物車増結と併せて臨時の荷物専用列車も運転され、大量の荷物を捌いていました。 宅配便など存在しなかった時代は荷物を送ると言えば国鉄でしたが、今では覚えている人も少なくなりました。 23 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2008年9月12日 激しい夕立が上がり、その雲間から夕焼け空が顔を見せた。 願ってもない幸運、惣郷の橋の落陽だった。 '73. 35年前の春の昼下がりには列車の空白時間帯に岡見駅からモーターカーが出て来て、大がかりな線路工事が始まりました。 '73. 8 小田 P:服部基寛 投稿者 Yamashita : 2008年7月30日 京都への修学旅行で、保津峡へ向かう途中の一枚です。 静かな山陰1番線ホームで、出発を待っていたDF50 529。 当時は、ホームから京都タワーの姿を見ることができました。 '75. 13 京都 P:中西裕一 投稿者 Yamashita : 2008年7月28日 36年前のクリスマスイブの夜。 冷たい雨が降る夜でした。 '72. 24 浜田機関区 P:伴 達男 投稿者 Yamashita : 2008年4月11日 山陰本線にD51 1号機がやって来たと知ったのは この年の1月。 慣れ親しんだ山陰の地に大スターがやって来た気分だった。 春休みに当地を訪れた時は火を落とし浜田区のレンガ庫の一番奥に押し込まれていて、半ばD511と会う事を諦めていた夏休み 思いもかけず鎌手駅ですれ違い 大慌てで益田まで戻った。 海を入れて撮れる所もあったと少し後悔したが 益田では紛れもなく現役で働くD511と出会うことができた。 あの四重連運転が行われる2週間少し前の出来事。 '72. 9 益田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年12月27日 国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。 人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 '73. 3 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年10月 5日 まだあまり撮影者のいなかった浜田駅構内の外れで「あの転轍標識を入れて…」とか考えながら蒸気機関車「さよなら列車」の発車を待っていた時の事です。 カメラも持たない地元の人が線路内に入ったのをキッカケに後からやって来た鉄道ファンが次から次へと線路際になだれ込み、この日ばかりは先着優先の法則は成り立ちません。 中には留置されている客車の屋根にまで登るツワモノまで現れる始末です。 そんな喧騒の中、サービス満点に本州最後となった現役蒸気機関車の「さよなら列車」が人波を掻き分けるようにして発車して行きます。 お陰でおおらかな良き時代の記念写真を撮ることが出来ました。 '75. 15 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年8月27日 機関車館になる前の梅小路機関区。 山陰本線下り列車より無我夢中で撮影。 '69. 8 P:朝倉淳一 投稿者 Yamashita : 2007年7月23日 遠い夏の日、美しい海岸線を駆け抜ける上り「まつかぜ2号」。 現在この入江は埋め立てられて三隅火力発電所となり、山陰本線はトンネルの新線に移行している。 10は好評発売中です! 投稿者 Yamashita : 2007年5月31日 休日の保津峡駅は多くのハイキング客で賑わった。 乗客を降ろし終わった3525Dと交換する806D「白兎」。 29年前はごく当たり前の光景だった。 14 保津峡 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2007年4月19日 嵯峨野の竹林を抜け一路京都を目指す18D特急「あさしお」。 野々宮から少し離れたこの陸橋は、嵯峨野観光の合間に列車撮影ができるお手軽ポイントだったが、電化・新線切替でこの素晴らしい風情も失われてしまった。 30 嵯峨-保津峡 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2007年1月24日 昭和47年 梅雨末期の集中豪雨が山陰西部地方を襲い、8月になっても至るところで発生した土砂崩れのため各所で徐行運転を強いられ、山陰本線はダイヤが大きく乱れていた。 通常はここで離合することのない「さんべ1号」が、遅れてやって来た各駅停車牽引のC57やD51牽引貨物の待つ大田市駅に進入する。 遠くには給水塔も見える。 蒸機終焉期だったが、こんな景色が私にとっての典型的な国鉄の風景だった。 8 久手-大田市 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年12月15日 高校の修学旅行で訪れた山陰は萩、DF50を目の前に黙っているわけにはいきません。 班行動で一日市内見学の所を鉄仲間で結託し別行動を。 乗ったり撮ったりして山陰地方の鉄道を見学して来ました。 10 P:木村一博。 投稿者 Yamashita : 2006年12月 7日 1985年12月、冬の余部へ出かけた。 この時期の山陰は荒天の日が多い。 霙がレンズの視界を遮り、鉛雲が露出を下げ、おまけに自身が強い北風に晒される。 撮影条件は最悪だったが、強風のため列車が徐行。 辛うじて「あさしお」を被写体ブレせず撮れた。 12 餘部-鎧 P:芝地 寛 投稿者 Yamashita : 2006年11月29日 秋の紅葉の頃の保津峡は特に美しかった。 この日は列車と紅葉、保津川下りの遊覧船を写しこもうと欲張った。 なかなかタイミングが合わず苦労した思い出の一枚。 20 保津峡-馬堀 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2006年10月18日 8mmカメラを持って香住観光船に乗ったら偶然餘部鉄橋の所でDD54重連貨物に出会えたので、日を改め再び今度はスチールカメラを持って観光船に乗り込んだ。 この写真を撮った当時は中学生だったが、その1年少し前の小学生だった頃、今の三人姉妹船長の観光船「香住丸」の真ん中のお姉さんにひと目会ったその日から胸キュンで、生まれて初めて経験した想いだった。 それが本当の目的で再度餘部鉄橋のDD54に挑戦したのかもしれない。 しかしこの日は悪天候で肝心の観光船は運休。 同じ時刻出港のもう一つの観光船で餘部へ向かったが、鉄橋の近くにいる時には貨物列車はやって来ず、船が鉄橋からかなり離れてから鮮魚車を後ろに従えたDD54が単機で鉄橋を渡ってきた。 この頃はまだ3人姉妹の一番上の方しか船の操縦はしておらず、お目当てのお姉さんはガイド役だった。 こんな不純な考えを神様はお見通しだったのかな? 同じネガの次のコマからは生野峠を登るC57が写っている。 甘酸っぱい思い出の1枚。 5 餘部-鎧 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年10月11日 日野川橋梁での出雲 2001レ)とあさしお(18D との出会い。 夏休みを利用して行った中国地方への旅行でのひとコマ。 出雲が少し遅れていたようで、たまたま日野川の上で優等列車同士のすれ違いとなった。 23 伯耆大山-米子 P:吉田明宣 投稿者 Yamashita : 2006年10月 2日 9月24日UPの「時雨の保津峡」の10年後の姿、小雪舞う中走る58系急行「白兎」。 主役は82系気動車「あさしお」、58系急行群に代わっていました。 この日は脚立を片手に駅までバスで出掛けましたが、こんなに役に立つとは…狙い通りの写真が撮れました。 '77. 10 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年9月24日 この日は時雨模様のどんよりとした空模様で、撮影条件は厳しかった。 蒸機のブラストと汽笛が保津川の渓谷にこだまして旅情を誘う。 この日は風もあり陰に入れば結構涼しくて汗がスーッとひいた。 松林の木陰からプチ俯瞰できる静かな場所を見つけ、無精を決め込み一日中同じアングルでダイヤを確認することもなく来る列車を撮っていた。 8 小田-田儀 P:山陰本線 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年7月 7日 ブルトレ牽引により一躍山陰本線のエースとなったDD54だが、全盛時代は短く、73年7月以降は「出雲」牽引から降板。 残る列車もあっという間に置き換えが進みました。 19 大山口 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年6月21日 同じ「まつかぜ」でも博多行は82系で、181系の天下であった山陰特急の中でも女王的存在だった。 一見似ている両者もこうして並ぶとずいぶん違うなぁと思った1枚。 1 宝木駅 P:大串 晋 投稿者 Yamashita : 2006年5月29日 スイッチバックの滝山信号場。 鳥取を出た「あさしお」が引上線に入線。 間もなく背後から「出雲」が駆け下ます。 「あさしお」は一度バックして、轟音とともに駆け上がって行きました。 '83. 7 滝山信号場 P:大串 晋 投稿者 Yamashita : 2006年4月26日 山陰本線京都口が電化される前、夜中に友人と良く保津峡駅に出かけました。 出雲を見るためです。 自宅から車で20分ぐらい走り六丁峠を越えると保津峡駅が俯瞰できます。 駅に着いて待つこと数分DD51が轟音と共に走り抜けました。 '82. 3 旧保津峡駅 P:林 信彦 投稿者 Yamashita : 2006年4月14日 当時の松江駅南口は、裏道からいつでも素通しで眺めることが出来ました。 構内は時間が昭和30年代で止まってしまった感じで、映画のワンシーンを見るようでした。 '72. 3 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年2月22日 出発信号の腕木信号機が下がって何か下りの列車が香住駅を発車して来そうな気配。 時刻表からして客レではなさそう。 貨物列車でも来るのかな? と矢田川を渡った所で待っていると、この頃の主力機だったDD54が貨物を牽いて現れた。 手前に写っている道が舗装されたくらいで、この辺りの風景は今も変わっていない。 '73. 3 香住~鎧 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2005年11月30日 梅小路の名機C575も豊岡、浜田と流れ、最後はこんな仕業もしていた。 僅か貨車4両の区間貨物491レを牽く。 形式入りプレートも失い少々落ちぶれた姿だったが、それでも出会えた事が嬉しかった。 '74. 4 浜田 宮村昭男 投稿者 Yamashita :.

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