恋は雨上がりのように 映画 ネタバレ。 映画『恋は雨上がりのように』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

映画「恋は雨上がりのように」の感想(ネタバレ含)

恋は雨上がりのように 映画 ネタバレ

あらすじ 橘あきらは走ることが好きだった。 しかし足を怪我してしまい回復するまで走れなくなってしまう。 落ち込んだあきらは、ファミレスで雨宿りをしていると、そのファミレスの店長がコーヒーをサービスしてくれた。 あきらはそのファミレスの店長が気にかかり、そこでアルバイトを始める。 あきらはファミレスの店長を好きになるのだったが… キャスト 監督永井聡 脚本坂口 理子 橘あきら 小松菜奈 陸上部のエースだったが足を怪我して回復するまで走れなくなる。 近藤店長のことを好きになる。 近藤正己 大泉洋 ファミレスの店長。 小説を好む。 喜屋武はるか 清野菜名 あきらの親友。 あきらと同じ陸上部。 ネタバレなし感想 ストーリーやラストシーンについて、詳しくは触れないようにレビューしています。 すごくいい実写化。 小松菜奈の清楚で妖艶な雰囲気が橘あきら役にピッタリ。 「恋は雨上がりのように」の実写化で橘あきら役が小松菜奈なのは、大成功ですよね。 小松菜奈のもつ清楚でありながら妖艶な雰囲気は橘あきら役にピッタリだと思います。 スラっとしているスタイルも原作そのままという感じです。 アニメや漫画の橘あきらよりも、実写の小松菜奈演じる橘あきらのほうが妖艶さが濃いので暗さがありますね。 小松菜奈がずっと映ってるので、ファンにとってはすごくうれしい映画となっているのではないでしょうか。 実写映画版オリジナルのラスト(終わり方)の店長とあきらが良かった。 実写版映画「恋は雨上がりのように」のラストシーン(終わり方)はアニメのラストとは違います。 アニメ版のラストシーンは少しあいまいな雰囲気の終わり方でしたが、映画版の終わり方は店長とあきら二人の変化をうまく原作のストーリーと合わせていましたね。 実写版映画もアニメも店長とあきら、二人の変化と成長を描いている部分は同じです。 実写版映画の終わり方は、店長とあきら二人の変化と成長をもっと具体的に示していました。 成長というよりは環境の変化かな。 とくに店長の変化については、うまくあの部分のストーリーをからめたなって感じですね。 原作漫画やアニメで描かれた様々な要素が、めいいっぱい2時間もない少ない時間のなかに分かりやすくうまく配置されていて脚本が良かったんだろうなって思います。 「恋は雨上がりのように」の原作漫画やアニメを観ている人も、ぜひ実写版映画を観てみてください。 2時間もないなか、すごいうまくラストシーン(終わり方)までまとめたなってなると思います。 「恋は雨上がりのように」のメインテーマ、店長とあきら二人の変化がきっちりと描かれている。 店長とあきらの変化と成長• 小説や走ることへの情熱 こういった「恋は雨上がりのように」のテーマが、2時間もない実写版映画のなかに見事にまとめられています。 あきらの親友喜屋武はるか(清野菜名)が高校生に見えないけど慣れればOK 実写版映画「恋は雨上がりのように」を観てて気になったのは、橘あきらの親友喜屋武はるかが、ちょっと高校生っぽくない大人な人だなってなったこと。 清野菜名は高校生っぽくなくて大人な雰囲気なんだけれど、たぶん演技力があるので起用したってことなんでしょうね。 最初は清野菜名の高校生には見えづらい大人っぽさが気になったりしましたが、だんだん慣れてきました。 1時間50分ほどの時間で、すごくよくまとまっている。 興味持てたらアニメ版もオススメ。 実写版映画「恋は雨上がりのように」の上映時間は1時間51分。 この短い時間の間に「恋は雨上がりのように」の大切な部分がちゃんと収まっていたと思います。 ですので「恋は雨上がりのように」を実写版映画で初めて観て面白かったっていう人は、ぜひアニメ版も観てみてください。 だいたいのストーリーは一緒ですが、テレビアニメ版は時間が長い分丁寧にいろいろと描かれていますよ。

次の

映画『恋は雨上がりのように』実写キャスト・あらすじ(原作ネタバレあり)【小松菜奈×大泉洋】

恋は雨上がりのように 映画 ネタバレ

こんにちは。 さいちゃんです。 やっと観れました。 小松菜奈の出演映画を観たのはこれで7作目。 『渇き。 』『溺れるナイフ』『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』『さよならくちびる』『坂道のアポロン』『バクマン』そして、本作『恋は雨上がりのように』。 ずっと観たかったんですよ。 まずタイトルがいいじゃないですか。 『恋は雨上がりのように』。 恋と雨の組み合わせに間違いが起こるわけない(確信)。 17歳の女子高生が45歳バツイチ子持ちのおじさんに恋するストーリーなんですが、その恋に至る繊細な心も、ピュアに反応する女子高生の恋煩いも、おじさんの戸惑いと喜びも、それをけして嫌味なく綺麗に、そして楽しく魅せてくれる作品でした。 そして恋だけじゃなく、人生、夢、友情、大切なことがたくさん詰まっていて、何度でも観たいと思える映画です。 予告 監督は『世界から猫が消えたなら』の永井聡。 この作品も好きですね、シリアルな設定をコミカルに描きつつ、真剣に考えさせてくれる。 『恋は雨上がりのように』もまさにそのような映画でした。 キャストが最高なんですよね、 まずは小松菜奈が最強に美しいと思うんですけど、小松菜奈が最強に美しいんですよね、そして小松菜奈が最強に美しいんですよ。 橘あきらというクールな美少女の繊細に揺れ動く心情をうまく演じきっていました。 その圧倒的な目力には感服せざるを得ません。 あんな小顔で妖艶な美しさを放ちあそこまで目力強い人、他にいるだろうか、いやいない。 そして大泉洋。 近藤正巳という45歳バツイチ子持ち、冴えないファミレスの店長役なんですけど、なんかもう大泉洋の雰囲気そのままって感じのハマり役でした。 絶対撮影も楽しかったろうなって想像できちゃう。 あと個人的に松本穂香出てたの嬉しかったし(かわいい)、葉山奨之はNetflixでテラスハウスをかかさず見ている僕からしたら「しょうちゃん出てたのかよ…小松菜奈と共演してただと…」と嫉妬心を抱きました。 やるなしょうちゃん。 そして山本舞香。 あまり彼女の作品は知らないんですけど、Netflixの『やれたかも委員会』の第五話のマチルダ役で出演していて、あ、マチルダだ!って思いました(かわいい)。 以下はネタバレありなので、作品を観ていない人はご注意を。 Contents• 『恋は雨上がりのように』、冒頭から最高 で、この映画は最初から全力で最高。 見ます?最初からエンジン全開の小松菜奈見ます??いきますよ??? なにこれ!!! ちょっと監督さん!?!?こんな小松菜奈もってくる!?!? どこぞのヒーロー戦隊かな?ってくらいの登場で、一瞬で「あ、この映画ギャグエキス入りまくってんな」って理解できちゃいます。 冒頭ダッシュでバイトに向かう際にスライディング決めながら全力疾走の小松菜奈。 17歳の女子高生のどこまでも純粋な恋 17歳女子高生(しかも陸上部のエースでスタイル抜群に良くてかわいい!)と45歳バツイチ子持ちのおじさん(冴えないファミレス店長!)だったら普通に考えてなかなか難しい恋だとは思うんですよ。 28歳差ですから。 二人とも大人だったら全然あると思うんですけど、相手が女子高生だったら45歳バツイチ子持ちはさすがにちょっと怯むかもしれない。 でも小松菜奈演じる橘あきらが純粋にどこまでもまっすぐなんです。 友人やバイト先の人からも「おじさんじゃん」「だってクサいし」「絶対にうまくいかない」等々否定的な意見ばかりもらうんですけど、でもあきらの強い気持ちはそんな意見にまったく流されず、本当にピュア。 アキレス腱を怪我して陸上の夢を諦め、絶望に暮れていたあきらが立ち寄ったファミレスで店長である近藤の優しさに触れたことが恋のきっかけになります。 コーヒーをサービスして、ちょっとした手品で楽しませて、些細な優しさだったかもしれないけど、それが雨のように沁みたんです。 どうしようもないくらい悲しいときとか、絶望に暮れて泣きたいときとかに触れる人の優しさって、驚くほど心を貫通してくるんですよね。 今やさしくされると好きになっちゃうっていう。 そんな経験、皆さんもないですか?それがあきらにとっては45歳バツイチの近藤だったんです。 色々なネガティブ要素も弾き飛ばすくらい、まっすぐな気持ちで。 「 その人は、どしゃぶりの心に傘をくれた」が映画のキャッチコピーなんですが、もう名コピーすぎてこれを考えた人は流石にノーベル賞取ってることでしょう。 45歳バツイチ、でもひたすら優しい 思いを告げられた近藤は、なぜ自分が17歳の魅力的な女子高生に恋をされているのか戸惑います。 あきらが「人を好きになるのに理由なんていりますか」と尋ねる場面がありますが、近藤は「僕と君の間には理由がいるでしょう」と返すのですが、自分でその理由が全くわからないのです(そしてあきらも答えない)(でもその人柄が魅力的なんだよ店長!!)。 45歳、バツイチ、子持ち、うだつの上がらないファミレス店長、イケメンでもない、お金もない、加齢臭・・・ と、挙げだしたら止まらない中年男性の残念な特徴を自覚している近藤は、あきらとのデート中も周りの目を気にしてしまう。 まっすぐに自分を好きでいてくれるあきらに好意は抱きつつも、気持ちには応えられないという返事をするわけだけど、あきらに対してはとても感謝している。 そして陸上への復帰を後押しするために、自分の息子にかけっこを教えるように頼んだり、もうバイトには入らないでいいと言ったり。 結局ぜんぶ優しいんだよな。 印象に残ったセリフ、シーン そしてこの作品、印象的なセリフが多かったので、特に心に残ったものを抜粋します。 これはかわいい。 この小松菜奈の笑い顔かわいい。 大泉洋も思わず二度見するレベルのかわいさ。 でもこういう普段俺っていう人が僕っていう自分だけの特別感は嬉しいですよね。 真剣な告白。 「きっと橘さんを呼んでる本が見つかると思うよ」(近藤正巳) 図書館でおススメの本を聞かれた時の返答が好きです。 「本ってね一方的に薦められて読むものではないんだよ。 もしその本が合わなかったらその先読み進めるのが苦痛になっちゃうでしょ。 でも橘さんが今日ここに来たということはどこかに橘さんを呼んでる本があるはずなんだ。 それはきっと今の橘さんに必要な本なんだよ。 幸いここは本の海だ。 見つからないものはない。 きっと橘さんを呼んでる本が見つかると思うよ」 滅茶苦茶納得するし好き。 僕も使おうと思いました。 「一緒に過ごしたかけがえのない時間というのは時がたっても決して消えたりしないのかもなあ」(近藤正巳) 親友と喧嘩してもう仲直りできないかもしれないと落ち込むあきらに対して、久しぶりに旧友に会って依然と変わらなく話せたというエピソードを語る。 気心しれた友人というのは、いつも顔を合わせる人のことより、どれだけ会ってなくてもあった時に昨日の続きのように当たり前に話せる関係をいうのかもしれないね。 「橘さんはいつも雨の日に突然現れるね」(近藤正巳) 詩的で好き。 雨のような少女、橘あきら。 「諦めずに足掻いて、でも前に進もうとするならそれは執着っていうんだ」(九条ちひろ) 小説に片思いしてて、無理だと思ってても諦めきれない。 未練がましいよな。 とつぶやく近藤にかけた言葉がいい。 未練じゃなくて執着。 そういう言い回しの方がいいだろ? かっこいいとしか思えない。 近藤の原稿用紙に書かれてあきらへの想い 「本の虫」と自分でいうだけあって大量の本に囲まれた近藤の部屋。 その小さな机にいつも置いてある原稿用紙と万年筆。 この時代に万年筆で執筆するというのは違和感も感じますがそれも近藤のこだわり(執着)なのかもしれない。 いつも白紙だったんですが、映画の最後でその内容が明かされます。 「その感情に名前をつけるにはあまりに軽薄だ。 この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。 それでも、今彼女が抱えている取り払ってやりたい。 救ってやりたい。 たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。 若さは、時に乱暴で凶暴なものである。 それでも、その時感じた感情はいずれかけがえのない財産になるだろう。 君とすごした時間が、忘れていた、かけがえのない財産を思い出すことができる・・」 完全にあきらを想って書かれた内容。 それをうっかり事務所に置いているのも、久保さんが勝手に読みながら微笑ましく読んでいるのもよかった。 45歳で夢も希望もないと悲観していた人生に、素敵な女子高生が自分に恋してくれた。 彼女との出会いによって旧友に連絡を取ることができ、一瞬で昔の関係に戻ることができた。 そしてその友人から刺激を受けてまた小説家を目指そうと思えた。 近藤にとって、恋以上の感情だったんです。 あきらに対しては感謝してもしきれない。 恋は雨上がりのように あきらは陸上部に復帰して朝のランニング中に近藤と再開します。 今度昇進するかもしれないという報告をする近藤。 そして「店長、私たち友達ですよね。 友達だったら普通、メールとかすると思うんです。 わたし、店長とメールしたいです!」と真っ赤にした目で涙ながらに精一杯元気に言うあきら。 笑いあう二人は雨上がりのようにキラキラとして、爽やかなラストでした。 2時間に恋も友情も人生もたくさん詰め込まれていて、前向きになれる映画。 頑張ろうと思える作品。 二人の恋から多くのことを学ぶことができました。 『恋は雨上がりのように』を観た。 絶望のさなかの女子高生が触れた何気ない優しさが、雨のように沁みて45歳バツイチのおじさんに恋することもあるんだよ。 夢を諦めないこと、恋だけでなく大切なことがたくさん詰まってる前向きになれる映画でした。 小松菜奈の美しさが異常であと3000回観たい。

次の

映画『恋は雨上がりのように』評価と感想/おっさんには刺さりました

恋は雨上がりのように 映画 ネタバレ

マンガ『恋は雨上がりのように』レビューと、ネタバレを含みつつ自分が受けた印象についての整理 「恋は雨上がりのように」のあらすじ・概要(ネタバレほぼなし) 最初はネタバレなしで、ざっくりと話の流れだけを解説しておくと、 (出典:恋は雨上がりのように 1巻表紙 眉月じゅん) この子、高校生である橘あきら(17歳)が、 (出典:恋は雨上がりのように 1巻 第3話 眉月じゅん) このおじさん、あきらのバイト先のファミレスの店長、近藤正己(45歳)に恋をする、という話です。 おじさんは作中「店長」と呼ばれるので、店長で進めますが、この店長は、• ちょっと寝癖がついてて• たまにチャックが開いてて• 後頭部には10円ハゲがついてて• くしゃみが大きく• 言動がもろにおじさん• こどものいるバツイチ ということで、ここだけ見ると「はいはい、おじさんが女子高生に好かれちゃって困っちゃうっていう、現実にはあり得ない話ね」と思われてしまう可能性があるかもしれません。 これはタイトルが『恋は雨上がりのように』になっている影響もあるのかもしれませんが、10巻まで読み通したうえで私が感じたのは、これは「恋愛が主軸の話」というより、恋愛をきっかけとしているけれども、それ以上に 「挫折から立ち上がるまでの話」 がメインのテーマなのではないかということです。 (作中で二人はキスさえしません) 「雨」を題名に冠しているだけあって、作中では重要なシーンでいつも雨が降っており、「雨やどり」のような雨に関する言葉がたびたび出てきます。 つまり、「挫折から立ち上がるまでの話」という表現をより本作の雰囲気に合わせるなら、 「つらくて立ち上がれないときに、長い、長い雨やどりをして、雨上がりにまた歩き出すまでの話」 と言い換えることもできます。 どんな挫折があるのか 陸上と文学 「そもそもどんな挫折があるのか」についても話をしておきますと、あきらは陸上部のエースだったのですが、怪我(アキレス腱断裂)の影響で走ることをやめてしまいます。 走ることが大好きで、結果も出していたのに、高校生になって怪我の影響で走れなくなってしまったあきら。 Amazonのあらすじなどを見るとあきらが「クール」と表現されていますが、いかにもマンガ的な不自然な感じではありませんし、なにより陸上に関することには感情をあらわにする場面が多く、彼女の未練、あるいは執着が一貫して感じられます。 一方で店長のほうにも挫折があり、店長には昔書いていた小説(文学)で結果を出すことができず、年齢を経るにつれ書かなくなっていってしまった、というものがあります。 ふたりが関係を少しずつ深めていくにつれ、お互いの挫折と少しずつ向き合うようになっていきます。 「恋は雨上がりのように」マンガとアニメの違い アニメのほうが万人受けはするか 冒頭でも書いたように、私はAmazonプライムビデオでアニメを見て、マンガを見ました。 (マンガは10巻で完結ずみ) そのうえでこのふたつの違いを言いますと、• (たぶん見る人によってかなり変わる部分です) この理由は後半の「ネタバレ編」で書きますが、未読の方で単に 「いい話」を見たいという場合にはアニメをおすすめ します。 これは、 マンガの最終回がかなり賛否分かれる であろう結末になっているからです。 (私は面白く感じましたが、最終回のときその終え方に炎上したそうです) アニメの最終話はふわっとした、いい感じで終わっており、見終わったあと私は単純に「面白かったなあ」と思いました。 一方マンガのほうは、言葉にできない切なさと、苦しみと、「でもそうなるしかないのか」という言い聞かせと、という感じでかなり悶々としました。 ただ 爪痕が残ったのは間違いなくマンガのほう であり、感動うんぬんより「面白いものを見たい」という方にはマンガのほうがおすすめできる、というのが私の意見です。 「恋は雨上がりのように」完全ネタバレつき感想 さて、というのが「恋は雨上がりのように」の概要とざっくりした感想でした。 以下は完全にネタバレ になっております。 私は未読でもネタバレそんなに気にしない派(ネタバレの有無があまり関係ない作品が好き派)なのですが、ネタバレを気にされる方は読むのをやめていただければと思います。 全然関係ない私の短歌の感想リンクでも貼っておきます。 ここからネタバレ開始 ですのでご注意くださいませ。 最終回と、そこに至るまでの二人の違い ネタバレなので遠慮なく書くと、 マンガの最終回で二人の関係は明確に終わります。 (付き合っていたわけでもないので、「別れる」にもあたらない) まっすぐなあきらの想い、自分がもうずっと前になくして、思い出しもしなくなっていたその輝きに、店長はどんどん惹かれていき、後半は店長も想いを寄せていきます。 とはいえ自分は45歳のおじさん。 文学への挫折をはじめ、なにかを成し遂げたという自信もないため、特に序盤はあきらを遠ざけようとします。 「彼女が戻るべき場所はどこなのか」 それが当初から店長の考えていた一番の関心事であり、 「少なくとも、自分のところではない」 というあきらめが店長のまわりにはつきまとっています。 「彼女は、また走りたいと思っているのではないか」 「自分とは違い、彼女はまだ十分に間に合う」 そんなふうに常に彼女のまっすぐな輝きに目を細めています。 二人の別れの日、店長は「今日のこと、俺、きっと一生忘れないんだろうな」とつぶやきます。 それを聞いたあきらも、「あたしも忘れません!」と主張するのですが、店長は (出典:恋は雨上がりのように 10巻 第81話 眉月じゅん) 「橘さんは忘れたっていいんだ」と答えます。 特に最終巻(10巻)では、こうした「二人の見ているものの違い」が随所に出てきます。 個人的に一番感じたのが、10巻では二人それぞれが「もし二人が同じ年で、同じ高校に通っていたら」という空想をします。 (出典:恋は雨上がりのように 10巻 第76話 眉月じゅん) 店長側の空想 で、あきらは「雨がやむこと」を願っています。 一方あきら側の空想では、 (出典:恋は雨上がりのように 10巻 第77話 眉月じゅん) と、あきらは自分に 「雨の日もたまには悪くない」と言わせています。 これが個人的にはものすごく象徴的に感じまして、この作品のテーマが「雨上がりまでの雨やどり」であるとするならば、あきら側の空想で、 あきらは現状にとどまりたがっています。 つまり、自分は怪我をしてしまったけど、代わりに大切なものを見つけたし、それでいいんだ、という気持ちです。 一方店長の空想で、あきらは「雨がやむこと」を願っています。 これがまた、自分が勧めるのではなく、あきらが言っているのがポイントで、店長は 「あきらは本当は雨がやむこと、また走り出すことを願っているはずだし、そうすべきだ(たとえ、二人で過ごすこの時間が終わってしまったとしても)」 と考えていることの象徴であるように私には感じられました。 (シーン的には、このあと「雨がやんでほしくない」という店長の本音も描かれています) このマンガでは、一貫して• この違いがまた「若さ」ともリンクしていて、すごく人間的だなあと私はとても面白く感じました。 マンガ「恋は雨上がりのように」最終回になぜもやもやしたものが残ったか というように、最終回までは登場人物たちがすごく人間らしく生き生きと描かれていることにのめり込んでいたのですが、 最終回であまりにも明確に二人の関係が終わってしまった ことに、正直言って私はもやもやとしたものが残りました。 「年齢差もあるし、しかたないよな」とは思いつつ、なぜ自分がこんなにももやもやしているのかを言語化してみたい、と思ったのがこの記事を書こうと思ったきっかけです。 「ほかの人はどうなんだろう」と思ってネットを調べたのですが、評判の中に、 「女子高生とおっさんがくっつくのは今の時代問題があるから逃げたんだ」 「作者が本当に描きたかったのは別の結末に違いない」 といったものがありました。 これは私個人の感想ですが、『恋は雨上がりのように』という題名や、当初からの二人の描き方を考えると、最初から「二人が最後に別々の道を歩いていく」ことは決まっていたんじゃないかなあ、と思っています。 しかしではなぜもやもやが残ったのか。 これに対して、まず私なりの感想を率直に言うと、 「あきらと店長、二人の物語だと思って読んでいたのに、 あくまであきらの物語であったことを感じてしまった」 と表現できます。 この作品のテーマが、もし「雨上がりまでの雨やどり」であったとするならば、挫折したあきらが降りしきる雨のなかしばらく休むことを選んだのは、大きな木の下であり、その大木が店長であった、ように私は感じています。 上で『マンガでは「あきら」の挫折の割合のほうが大きい』と書いたのはこのためで、たしかに店長は「昔書いていた小説への情熱を取り戻す」ということが、あきらとの出会いを通じて得たものとして挙げられますが、役割としてはあくまで「あきらが再び走り出すまでのきっかけ」が大きいように思うのです。 降りしきる雨からあきらを守り、あきらのことを考え、自分の想いよりもあきらが行くべき方向を示してあげる。 そうして雨がやんだら、「もう雨はやんだよ。 君は自分で歩けるだろう」と声をかけてやる。 「自分のことは忘れてもいい」と。 「忘れるものなんだ。 それでいいんだ」と。 店長があきらにしたのは一度のハグだけで、得たものがたくさんあったとしても、二人があまりにも明確に関係を終えたことで、二人がともに雨やどりしていたのではなく、店長の 「あきらを雨やどりさせるという役割」を強く感じさせる結末になってしまった。 それが自分がもやもやした原因なのかもしれない、と書きながら考えました。 1回目に読んだときはそこまで思ってなかったのですが、この、 (出典:恋は雨上がりのように 10巻 第81話 眉月じゅん) 最終話直前のあきらの 「雨やどりしてただけだよ。 もう大丈夫」 という言葉と表情がものすごく美しく描けていたからこそ、感動もしつつ同時に 「これは二人の物語というより、あきらの物語だったんだな」ということも感じてしまったのでした。 (私の性別と年齢(33歳男性)からどうしても店長目線になってしまう、という影響も大きいでしょう) ではどんな結末なら納得できたか(余談) そもそもこの解釈が合っているかわからない、というより現時点での私がそう解釈した、というだけの話ですので、時間が経てば変わる可能性もあるし、 この作品がすごく心に残った ことには変わりがありません。 ただ私としては、こうして言葉にすることで自分が感じたもやもやについて簡単な整理をしたかったのです。 以降まったくまとまりがない のですが、「ではどんな結末なら納得できたのか」も余談的に考えてみたいと思います。 まず二人の関係が終わるとしても、店長にももっと変化があったとしたらどうなのか。 作中では、店長がまた小説を書きはじめたにしろ、今後はわからないながら特段結果を出したわけでもありませんでした。 これが「受賞!」みたいに明確な結果につながっていたらどうだったか。 「それぞれの道を歩きだした感」はありますが、受賞すればすべてうまくいくわけでもないし、さすがにご都合主義的な面は否めません。 では二人が逆に明確にくっついていたらどうだったか。 最初のほうでも書いたように、私はこの話を「挫折から立ち上がるまでの話」という捉え方をしているのと、二人の距離感がとても好きだったので、あんまりキスがどうのといった生臭い話をしてほしくないなあ、というのが正直なところです(わがまま) で、もっとシンプルに考えたのが、 二人がこの距離感のまま時間が経ったエンディングだったらどうなんだろう、ということです。 想像してみると、個人的にはこれが一番しっくり来まして、店長は小説を書くけど結果は出ていない、ファミレスの店長もつづけている。 あきらは陸上に復帰してがんばっている。 お店も辞める。 ときどき、会って出かける。 二人が喫茶店を出ると、夏の通り雨が地面を濡らした跡がある。 見上げると、濡れた空が青く濃く輝く。 「雨、上がったね」 みたいな、くっついたとも明言しない終わり方です。 (あくまで私個人の意見です) と、ここまで書いて思ったのが、私のもやもやの原因のひとつは、店長があんなにもすっぱりと身を引くほどの理由が完全には呑み込めていない点にもあるのかもしれません。 あの最後の日についてはいいんです。 あのまま二人で家に戻ってしまえば、たしかに帰せなくなってしまっただろうし、そうするとあきらは陸上に戻れなかったかもしれません。 「誰かを許せない」と思うほどの強い気持ちが、自分からなくなってしまったこと、その距離の遠さを感じたこと、それもすごく理解できます。 でも、どれもあんなにも明確に関係を終えるほどのものではないんじゃないか。 恋と夢はトレードオフ、どちらかを取ればどちらかがなくなる、という性質のものではないし、二人がひとつのことしかできない不安定さがあるようにも感じ取れなかった。 (むしろ、一緒にいることで安定するように感じてしまった) そのことに自分なりの答えが出ていません。 最後に店長が何を言ったのかも明確になっていないけれど、あのあきらが納得するほどはっきりと気持ちを伝えたのでしょう。 「クビを伝えた」という意見もあったけれど、それだけであきらの「雨やどりしてただけ」につながるとは思えません。 (個人的には、本当にあの日が最後だったわけではなく、シフトが入っている分のバイトは出る、とか、制服を返す、ぐらいの接触はあったんじゃないかと思っています) スピンオフないのか(余談2) この作品、タイトルが『恋は雨上がりのように』だったわけですが、昨今のマンガではめずらしいと言ってもいいほど、主人公を含めまわりのキャラクターもみんな恋が実りません。 (はるかだけ少しいい感じになりそうな雰囲気はありましたが、その後は一切話に出てこない) 吉澤くんが西田さんを振った理由も掘り下げられなかったし、加瀬くんのお姉さんとの話も妙に中途半端な感じで終わってしまいました。 特に吉澤くんは、おばあちゃんに会わせた日の描写と結果が一致してなく、最終話でもなんとも言えない表情をしているので、裏の話があるように感じました。 私は「みんながみんなうまくいく」という話があんまり好きじゃない(しかも周囲の人間同士でくっつく)のですが、ただ本作は作者さんのなかでそれぞれストーリーがありそうな気がするので、スピンオフ的なのないのかなーとちょっと思っています。 この「みんな恋が実らない」というのが、『恋は雨上がりのように』というタイトルと照らし合わせると、作者さんの「夏の雨上がりのように、消えてしまった恋」ということへのこだわりがあるように感じました。 しかし「雨上がり」の言葉で想像するのって、わりとポジティブなイメージである人が多いのではないでしょうか。 忌野清志郎さんの曲で『雨上がりの夜空に』があったり、the pillowsの曲で『雨上がりに見た幻』があったり、少なくとも私にはマイナスのイメージがありません。 (それこそ陰鬱なイメージを持たれがちな「雨」が上がるわけですから) ただ作者さんは「雨上がり」という言葉に対して、ネガティブとは言わないまでも、「消えてしまう」に似たイメージを持っているのかもしれない、という気がしました。 そして『恋は雨上がりのように』というタイトル・テーマに引っ張られすぎてしまったようにも……(邪推ですが) 個人的に好きなシーン(余談3) もうほんと余談がつづくのですが、個人的にものすごくきゅんとしたシーン。 (出典:恋は雨上がりのように 10巻 第79話 眉月じゅん) 「もう帰らなきゃいけない」が、大雪の影響で「帰れない」になりはしゃぐあきら。 たぶんすごくいとおしさが湧いてきて、だからこそ「帰せなくなる」と気づく店長。 同じ事実に対しても、二人の受け取り方がまったく違っているのがいいなあと。 あと、あきらが風邪の店長をお見舞いしたときのシーン。 (出典:恋は雨上がりのように 4巻 第25話 眉月じゅん) マンガ版もすごく感動したのですが、このシーンに関してはアニメ版がめちゃくちゃよかったです。 このシーンの演出と音楽と、たぶんオリジナルで追加された おじさんポエムが非常に胸に響きました。 結構唐突にポエムる感じが非常によかった。 おわりに というわけで、余談以降まったくまとまりがなくなってしまいましたが、『恋は雨上がりのように』の感想や、もやもやした点を自分なりに整理してみました。 いろいろ書いてますが、切なく響いた ものすごく胸に残るマンガ でした。

次の