五月雨式に失礼いたします。。 【仕事のメール作法】「五月雨式」< 読者からの質問(3)>VOL.3002

五月雨式って…ぶっちゃけ何!?若手社会人が「これ使ってるとカッコいい」と思うビジネス用語集

五月雨式に失礼いたします。

五月雨式の意味や読み方って!? 五月雨式は、「さみだれしき」と読みます。 「五月雨式」の意味としては、幾度か中断をはさみながら、ダラダラと長引いて続くことを表す言葉として使われています。 五月雨式の類語としては、・断続的・途切れ途切れ・だらだらと・ずるずると、などがあります。 では、五月雨式の「五月雨」は、どのような意味を持って使われるようになったのでしょうか? なぜ五月雨が用いられるようになったかと言うと、五月雨は旧暦の五月頃にダラダラと降ったりやんだりする雨、今で言う「梅雨」を表現する言葉として用いられていたようです。 このダラダラと降ったりやんだりする雨「五月雨」に「式」を付けると、「人が行う行動」と言う意味になります。 ですから、「五月雨式」は、中断をはさみながらダラダラと長引いて続く事を、丁寧な表現としてビジネスシーンで使われるようになりました。 例えば、納品であれば一度にすべて納品できず、数回にわけて納品するような場合、「五月雨式に申し訳ございません」というように使います。 メールであれば、状況の変化に応じて数通にわたりメールでやり取りした時などは、最後のメールで「五月雨式になってしまい申し訳ありません」としめくくるように使います。 会議などでは、意見や提案がうまくまとまらず平行線になってしまい、長引くことってありますよね。 そのような時に「会議が五月雨式になってしまった」と言うような使い方をします。 五月雨式の使い方や例文も 五月雨式の意味が分かったところで、今度は、ビジネスシーンでの使い方を見ていきましょう。 実は、こういったシーンで「五月雨式」を使うと、単に「申し訳ございません」と言うよりも、より丁寧で上品な印象を相手に与えることが出来るのです。 「何度もお手間をとらせて申し訳ございません」と意味ですので、女性の場合は、あえて「五月雨式」を使うと堅苦しい印象となってしまうかもしれませんね。 五月雨式は、「断続的に続く状態」を表す言葉でもあります。 ですから、こんなシーンでも使うことが出来ます。 ですから、一括で納品できないと伝えたとしても、「あれだけ大量に注文したんだから、一括で納品してよ」と強く要求される可能性があります。 ですから、ここで「五月雨式の納品になってしまい申し訳ありません」といってみましょう。 この表現は、言葉としては短いですが、意味としては「一度にまとめて納品できず(お手間をかけさせてしまって)申し訳ありません」となります。 ですから、相手の怒りを少しでも押さえつつ、どういった納品方法になるのかということも端的に伝えることが出来るのです。 スポンサーリンク 五月雨式をメールで使う場合は!? 五月雨式の使い方や意味に関しては、おおむね理解して頂けましたでしょうか? 上記でも、メールでの五月雨式の使い方を少しご紹介しましたが、ここでもう少し詳しく解説したいと思います。 例としては、自分だけの判断で処理することが出来ないような場合、上司や会社の判断をあおがないといけない時ってありますよね。 そのような場合、えてして何度も連絡を取らなければならなくなりませんか? このような場合でも、最後の連絡に「五月雨式になってしまい申し訳ありません」としめれば、「何度もお手間を取らせてしまい申し訳ありません」と言うよりスマートですよね。 取引先への納品が一度にできないような場合でも、「完成したものから五月雨式にはなってしまいますが納品させて頂きます」と連絡をしておけば、相手方にも誠意が伝わるメールになりますよね。 五月雨式を英語で使う場合は!? 五月雨式を英語で使う場合はどのような使い方ができるのでしょうか? 一度にまとめて、詳細が報告出来ない場合などに使う方法をご紹介します。 「途切れ途切れの報告になってしまい申し訳ありません。 」になります。 もし、英語で使う場合は参考にしてみて下さいね。 五月雨式と矢継ぎ早って使い方が違う!? 五月雨式の他に、続く時に使われる表現で矢継ぎ早と言う言葉がありますが、使い方や意味は同じなのでしょうか? 五月雨式が「断続的」「途切れ途切れ」「だらだらと」などの表現に使うのに対し、矢継ぎ早は「立て続けに」「間を置かずに」などの表現に使います。 続くと言う意味では、どちらも同じですね。 しかし、五月雨式が「途切れ途切れ」や「だらだらと」続く表現に使われることに対し、矢継ぎ早の「立て続けに」「間を置かずに」では、意味や表現としては反対になりますね。 「矢継ぎ早」の語源として、矢を次々と間を置かずに素早く射る事が出来る有能な武者の事を表現した言葉という事を考えれば、使い方や意味も変わってきますね。 まとめ 五月雨式は、基本的に謝罪をする時に使われる言葉ですが、ビジネスシーンでは謝罪の仕方もビジネスマンとしての評価を受ける対象となりますよね。 ちょっとした気遣いではありますが、より丁寧で上品な日本語の表現を使える事で、相手の印象も大きく変わってきます。 知っていて損のない表現の一つですから、ぜひ使ってみてくださいね。

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五月雨式とはどういう意味?よくあるビジネス用語の使い方を解説します!

五月雨式に失礼いたします。

日本語を勉強中の中国人です。 「五月雨ですみません」という日本語についてお伺いいたします。 この言葉はビジネスメールでよく使われるのでしょうか。 ネットでも調べてみたのですが、正確は「五月雨式ですみません」となっているでしょうか。 基本的には目上の方にも使える用語でしょうか。 それとも同輩とそれ以下で使われるのでしょうか。 ある件について目上の方に何度もご連絡した場合、メールの冒頭に置くクッションの言葉としては、「五月雨ですみません」、「度々失礼いたします」、「何度もご連絡して申し訳ありません」などどれが好感を持つ言い方でしょうか。 また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。 A ベストアンサー まだ出ていないところだと「羊」 北海道ではジンギスカンとして有名で、かなり浸透しましたし、国賓の招待時などにも出るような高級羊肉もありますが、慣れていない場合には好まれない場合もあるでしょう。 現地で、豚の丸焼きや北京ダックを出されました。 男子共は食いついていましたが、無理な女子や子供も多いでしょう。 チキンでも丸焼きは敬遠されるかも。 見たこと無い食材もNG 川魚も日本では塩焼きが主ですが(うなぎ系はタレ焼きですが)、日本を除くアジア諸国の川魚料理は味気なくて生臭いです・・・ 香菜系のパクチーも一部で大ファンも居ますが、嫌いな人も多い。 (回答しようとしたらこの人からブロックされています。 どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。 仕方なく、質問の形で話に加わります) 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。 これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。 ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。 そこで登場したのが「素晴らしいです」です。 ところがこれに対する賛成者は<少ないです>。 そして、それに加えて「過去形」までもが加わってきました。 「素晴らしっかったです」「よかったです」「楽しかったです」。 否定的な人々には、一層違和感が加わりました。 ではどう言えばいいのか。 「素晴らしゅうございました」「楽しゅうございました」 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。 ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。 こんな話がこのサイトでも続けられてきました。 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。 これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。 「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。 「美しくない」の「ない」は形容詞。 「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。 (「ません」が普通ですが) 皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。 「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。 (回答しようとしたらこの人からブロックされています。 どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。 仕方なく、質問の形で話に加わります) 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。 これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。 ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。 そこで登場したの... A ベストアンサー こんにちは。 「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。 私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。 文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。 「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。 「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。 この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。 (私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。 要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。 ) 皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。 これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。 私はずっとそう考えてきました。 今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。 まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。 かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です 1 」と、「形容詞+です」の「です 2 」は違うものだ、という分析です。 (「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。 ) 上に書いたとおり、「です 1 」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。 「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。 学生 だ/です まじめ だ/です それに対して、「です 2 」のほうは、「だ」とは対立しません。 つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。 (動詞文の「ます」に対応します) また、「です 1 」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。 学生でした 紅葉の名所でしたら、例えば、、、 (「でしょう」を活用形とは考えません。 「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。 ) それに対して、「です 2 」は活用を持ちません。 私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。 ) ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。 ちょっと話の流れを変えます。 日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。 (国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。 ) これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。 これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。 「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。 ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。 前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。 で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。 「名詞/形容動詞+だ/です」の「です 1 」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、 学生/まじめ です(断定+丁寧) 「形容詞+です」の「です 2 」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、 美しい(断定?)+です(丁寧) という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。 「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。 これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。 (単に私が知らないだけかも) 終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。 美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など) もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。 (たぶん)美しいでしょう。 (どうですか?)美しいでしょう? これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。 「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。 以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。 この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。 (さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。 「文とは何か」ですから。 ) この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。 「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。 面白いです!」 などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。 (語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。 」「ある?」など、ごくふつうのことです。 単に「歩く。 」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。 ) なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。 言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。 (明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。 ) 言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。 「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。 そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。 それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。 それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。 上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。 あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。 あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。 (「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。 ) もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!) 長くなりました。 最後まで読んでくださった方に感謝します。 saburoo こんにちは。 「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。 私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。 文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。 「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。 「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。 この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす... 文法的に間違いとまでは言いませんが、句読点や鍵カッコなどの「記号」を2重で使うことは本当は避けるべきです。 A ベストアンサー この「の」は、名詞と名詞を繋いでいます。 机の上、僕の楽しみ、などと同じです。 「の」の前の語が後の語の説明となっていますが、日本語文法としては連体修飾格を作る格助詞とされます。 説明にあたる名詞と説明される名詞を仲立ちするわけです。 「も」は係助詞に分類することもありますが、単に「強調」を表現するときは副助詞でよいと思います。 kokugobunpou.

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五月雨式とはどういう意味?よくあるビジネス用語の使い方を解説します!

五月雨式に失礼いたします。

「メールにて」の意味 「メールにて失礼いたします」の「メールにて」という言葉には「メールによって」という意味が含められていることになります。 電話や手紙など、いろんな方法で相手の人と意思の疎通を図る手段がありますが、その手段の1つとしてメールを選択していることを「メールにて」という言葉で表現することが可能です。 「失礼いたします」の意味 「メールにて失礼いたします」の後半部分に使われている表現に注目することもできます。 「失礼いたします」です。 この言葉には「お邪魔します」という意味が含まれていることになります。 ただ「メールの連絡をしています。 お邪魔します」という意味を伝えているだけでなく、相手に対する「敬意も」示すことのできる便利なフレーズになります。 「失礼いたします」という文章には「お邪魔します」と「敬意」の意味合いがあるということを忘れないようにする必要があります。 「いたします」は謙譲語 「失礼いたします」の「いたします」は謙譲語になります。 そのため、自分の身分を下にみなして相手に対して敬意を示すことのできる文法であることがわかります。 「メールにて失礼いたします」が、尊敬語だということは、かなり目上の人に対してメッセージを送らなければならない場面だったとしても「メールにて失礼いたします」が使えることがわかります。 すでに紹介したように、相手に対してお礼をする方法はたくさんあります。 直接出向いてお礼の言葉を言うこともできますし、相手に電話をしてお礼の言葉を言うこともできます。 そして、メールでお礼の言葉を言うのも良い方法の1つです。 しかし、メールでお礼の言葉を当たり前のように言うことのないようにするべきです。 しっかりと「メールにて失礼いたします」という一言を添えるのであれば、相手の人に対して「直接お礼に行けなくて申し訳ない」という残念な気持ちを伝えることになります。 そして「メールにて失礼いたします」という言葉を使うと同時に「誠にありがとうございました」などの表現を同じメールの中で使用すれば、相手に与える印象は良くなるはずです。 「メールにて失礼いたします」の例文 「ご不在のようでしたので」と「メールにて失礼いたします」というフレーズを組み合わせて使用することが可能です。 簡単に「ご不在のようでしたので、メールにて失礼いたします」という文章を相手に対して送ることができます。 「不在」という言葉には「その場に猫」という意味が含まれています。 そのため「ご不在のようでしたので、メールにて失礼いたします」で「訪問した時にその場にいませんでしたので、メールを送っています」というメッセージを、敬意を込めて相手に対して伝えていることになります。 トラブルを避けるのに役立つ 本来は直接会話をしなければいけないやりとりであったとしても、相手の不在が続いてしまうのであれば、直接話し合うことができません。 しかし「ご不在のようでしたので」というフレーズを付け加えなければ、一度も相手を訪問していないかのように思われてしまうこともあります。 相手に悪い印象を与えないためにも「ご不在のようでしたので」を使用することをお勧めします。 そのようにして「ご不在のようでしたので、メールにて失礼いたします」という文面を相手に対して送るのであれば、相手の人も「何回か会社を訪問してくれたんだ」と、あなたの努力を認めてくれるはずです。 自分が相手の会社を訪問したという誠意を分かってもらうためにも、このフレーズは非常に効果的です。 挨拶での「メールにて失礼いたします」の使い方 上記でお伝えしたように、「メールにて失礼いたします」の「失礼いたします」は謙譲語です。 では、敬語の他の種類である丁寧語で「メールにて失礼いたします」を言いたいのであれば、どのようにして言い換えることができるのでしょうか。 「メールにて失礼いたします」の丁寧語を詳しく紹介します。 「失礼します」が丁寧語 「メールにて失礼いたします」はシンプルに言い換えることによって、丁寧語にすることができます。 たとえば「失礼いたします」の部分を丁寧語に言い換えるのであれば「失礼します」になります。 そのため「メールにて失礼いたします」は「メールにて失礼します」で丁寧語が使用されていることになります。 基本的には、目上の人に対してメールを送ることがほとんどなので「メールにて失礼いたします」 というフレーズを使用することをお勧めします。 しかし、場合によっては、すでに信頼関係が築かれている人に対してメールを送るときもあります。 そのような時には、丁寧語の「メールにて失礼します」という表現で、堅苦しすぎるイメージを与えずに挨拶をすることが可能です。 「メールにて失礼いたします」の正しい位置 「メールにて失礼いたします」という言葉をメールの中で使用したいと考えている人はたくさんいます。 しかし「メールにて失礼いたします」をメールの中のどの場所で使用することができるのか理解するのは難しいことです。 そのため、これから「メールにて失礼いたします」を使用することのできる正しい位置について詳しく紹介します。 文末 「メールにて失礼いたします」を文末で使用するのは正しいことでしょうか。 使い方によっては「メールにて失礼いたします」を文末で使用するのは正しいですし、使い方によっては間違いになってしまいます。 どのような場面で「メールにて失礼いたします」を文末で使用することができるのか詳しく紹介します。 文末で使う意味 「メールにて失礼いたします」を文末で使う場合は「本来なら電話や手紙などを送るべきところを、メールで済ませてしまい申し訳ありません」 という意味が込められています。 そのため、労力を惜しむことによってメールによるやり取りを選択しているのであれば、必ずと言っていいほど「メールにて失礼いたします」を文末に付け加えなければなりません。 もし「メールにて失礼いたします」を文末につけることなくメールのやり取りをしているのであれば「メールで連絡するのは当たり前のことでしょ」というメッセージを間接的に相手に伝えてしまうことになるからです。 相手を不快な気持ちにさせることのないように、不安に感じるのであれば「メールにて失礼いたします」を文末につける必要があります。 文頭 「メールにて失礼いたします」を文頭につけることについて疑問を抱いている人もたくさんいます。 しかし「メールにて失礼いたします」は、場合によっては、文頭につけなければなりません。 どのような場合は「メールにて失礼いたします」を、文頭につけなければならないのか詳しく紹介します。 「突然のメールにて失礼いたします」 たとえば、初対面の人に対してメールを送らなければならないとします。 相手側からすると、初めての人からメールが来るので、誰からメールが来たのかすぐに理解することができません。 人によっては驚くこともあります。 そのような初対面の人へのメールを送る時に、相手に対して入りを示すのは当然のことです。 そして、初めてメールを送る相手への配慮の表れとして「突然のメールにて失礼いたします」という文章を文頭に使うべきです。 なぜ文頭かと言うと、文の最初を読んでいる段階でメールを受け取った人が「この人からのメールを初めてなんだ」と気づくことができるからです。 メールを読んでいる最中に相手を戸惑わせてしまうことを避けるためにも、このフレーズは効果的です。 「メールにて失礼いたします」で深い気遣いを示す メールで相手に連絡をしている時に「メールにて失礼いたします」という文章をわざわざ使わなかったとしても、正確な意思の疎通を図ることはできます。 結局のところ「メールにて失礼いたします」は、メールの要点や内容を左右するようなフレーズではないからです。 それでも「メールにて失礼いたします」を使うことは大切です。 なぜなら「メールにて失礼いたします」という言葉を文頭や文末に上手に使用することによって、相手の人への深い気遣いを示すことができるからです。 場合によっては「直接行くことができなくてごめんなさい」という意味も間接的に伝えることになります。 ビジネスマンとして「メールにて失礼いたします」は習得すべきフレーズの1つです。 これからもメールを送る相手の人への気遣いの表れとして「メールにて失礼いたします」を積極的に使っていきましょう。 このメッセージを受け取った人も感謝するはずです。

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